見えないブルカのベールをあけて・・・

一瞬一瞬を 自分のまま 生きているラー吉君

一瞬一瞬を 自分のまま
裸で生きているラー吉君

みなさま

ALOHA こんにちは。

ロミロミのマッサージに加えて、野口整体の勉強を始めて、もうすぐ2年になります。

「身体は、庇うものではなく、使いきるもの」「風邪は身体のリセットのチャンス」「バランスをとるのではなく、その人の特徴(体癖)をいかしていきる」などの考え方に、私の価値観や観念が、小気味いいほどがらがらと崩れていった野口整体。その野口整体の面白さと奥深さがようやくわかってきた気がします。ロミロミと、どうコラボするのかは、まだまだ未知数ですが、身体という宇宙を勉強するために生まれてきた気すらする私には、歓びでもあります。

先日、整体を受けている友人同士で話題になったのは、心身が変化し始めた時に訪れる、恐怖感と底知れぬ不安感です。

よくみられることですが、自分に変化が起こり始めると、周りの人との間に、今までになかった新しい摩擦が生まれたり、慣れ親しんだゾーンや価値観の枠から出なくてはならないようになることから、徐々に、時には急速に変化をためらう心が出てきます。

変化をポジティブと捉えるか、ネガティブで捉えるかは、(脳の構造や体験を含む)個体差、その時の心身の状態、環境やその国の国民性など、様々な要素が絡み、いつも、そして、誰もが変化を楽しめるとは限りません。むしろ、逆の方が多いのではないでしょうか。

それでも、人は、意識するとせざると、毎日細胞レベルでの小さい死と再生を繰り返し、刻々と変化している環境を自動で判断し、適応しています。そして、3ヶ月も経つ頃には、脳細胞以外は、入れ替わっているといわれています。変化していくことは、時に別れや悲しみ、苦しさを伴うことがあったとしても、それでも、実は変化こそ自然な流れだということが、私もようやく受け入れられるようになってきました。破壊と再生の女神ペレの住むハワイで過した時間も、その勇気を後押ししてくれました。

それでもなお、その私の中にも、どこかで変化のブレーキになる心理があります。

それは「見えない心のブルカ」だという気がすることがあります。ブルカは、イスラム教の伝統的な、女性が被るテントのような布で、特にアフガニスタンの女性が青いブルカを被り、それが女性の権利の剥奪の象徴だと国際的に報道されたことから、ご存知の方も多いかもしれません。

一概に伝統的・宗教的なものを否定することは残念で敬意を欠くことですし、女性の権利云々の報道も必ずしも公平なものではないと思うので、ここでは象徴としての話にとどめますが、人は、特に女性は、見えないブルカを被って生きていることが多々あるなと感じます。

自分本来の感受性や個性を活かして生きられたら、それはとても素敵なこと。でもそこに向かうことで、社会や家族、身近な人たちから得ている安全ゾーン、心理的な庇護を失うことを、私たちはどこかで潜在的に恐れている気がします。

野口先生は、日本は強きをくじき、弱きをたすける国だと書いていますが、私たちは、どこかでほんの少しだめな自分、弱い自分、こどもの心理状態のままでいることで、庇われ、サポートされ、可愛がってもらえるというを、どこかで本能的に知っている気がします。ブルカを被っていることで、窮屈ではあっても、宗教的・社会的な庇護や保護の下に生きていくことができるように・・・。

でも、人生は一度きり。そして、花のいのちは結構長い(笑 このキャッチを知っている人は年代がばれます)。毎日が自分らしくないと感じている時、人生に歓びやALOHAを感じられない時、身体に何か変化を感じている時。それは、ブルカの下にいる、本当の自分=自分本来の感受性そのものが、そのベールの下から勇気をもって顔を出して、成熟した大人として、社会や周りからの批判をも笑顔でやり過ごして、胸を張って生きていこうというメッセージを伝えているのかもしれません。

時に失敗に汗をかいても、涙が止まらない夜があっても、後悔に凹むことがあっても、自分の不器用さに唇をかむ日があっても・・・自分の感受性のまま、自分から溢れるものを生きて、自分の存在に安心して生きる感覚以上の歓びはないなと感じます。

そして、人生には、変化の先に、必ず「その先」の物語が待っています。

趣味と言うより  研究に近いベーグル

趣味と言うより 
   研究魂の結晶?病気?

 

 

 

身体が変わり始め、自分の中に起きてくる変化が怖くなってきた時は、自分の素晴らしさ、強さ、自分の中のALOHAを思い出しに、会いにいらしてください。

美味しいお茶と、趣味のベーグルを焼いて、お待ちしております♪

ALOHA MAHALO

 

 

 

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