みなさま こんにちは。
毎年(半年に一度?)恒例の沖縄旅。今回は石垣島にお邪魔してきました。
石垣島は、20代後半に最初に降り立った時、島から「おかえり」と言われた気がしたほど、なぜか魂レベルで懐かしい島です。以来、数え切れない位お世話になっています。
初日は、友人のお母さんが営む「ダンパチャーよせ田」(断髪屋、床屋さんのこと)で、ヘッドスパを受けました。海のように大きく温かいエネルギーのお母さんのヘッドマッサージは、本当に最高です。適度な圧で、普段凝り固まった頭を丁寧に揉み解してくださいます。そして、終わった時には、この通り!髪もぴかぴかつるつる!女性ならみんな大満足の、極上マッサージなのです。
その後は、昨年亡くなられたお祖母様のお線香をあげさせていただき、そのままお祖父様とゆんたくさせていただきました。今年93歳になられるお祖父様は、大戦中は台湾師範学校で台湾人の先生として教鞭をとられ、人種を越えて分け隔てなく生徒を可愛がられたため、戦後も台湾の方に大変慕われた方です。そして、戦後の沖縄でのご苦労、内地で小学校の先生として、教鞭をとられてこられた人生を語ってくださいました。
左でもなく、右でもない、いのちを大切にする「命どぅ宝」という「中心」の真実の大切さが身に沁みていらっしゃるお祖父様は、穏やかに今の政権や政情への不安を口にされ、もう二度と子供達に争いをさせないために何ができるか、そして、毎日自分がどう幸せに生きるかを模索し続けていらして、その言葉も、お姿も私の心の深い部分に刻まれました。どうかどうか、かじまやー(98歳のお祝い)まで、お元気でいらしてくださいね。そして、私たちにまだまだ、たくさんのことを教えてください。
2日目は私の唯一続いている趣味、ダイビング。風が強く、あいにくマンタのポイントにはいけませんでしたが、浮きも沈みもしない中性浮力の状態で青い海を漂っていると、まるで宇宙に浮かんでいるみたい。可愛い魚達にたくさん会えて、至福のときでした。
お世話になったのは、ロコマイカイさん。ハワイ語つながりです。ガイドのしょーじさんは、普段は愉快なキャラなのですが、海に入ると、何があっても、絶対に助けてくれるという安定感と細かい気遣いで私たちを導いてくれる海の男です。また次回もよろしくお願いしまーす♪
そして、最終日は、今回2度目になる黒島に、のんびりお邪魔させていただきました。ウミガメの産卵で有名な、真っ白い砂浜がどこまでも続くニシ浜の美しさ!誰もいないのをいいことに、波打ち際を、こどものように走る。走る。そして、琉球石灰岩の岩の日陰で、刻々と色を変える海と波を飽きることなく眺めていたら、大好きな荒井由美の「瞳を閉じて」が、ふと口ずさまれました。
♪小さなこどもに 訊ねられたら 海の青さを もう一度伝えるために 今 瞳を閉じて
すると、何故か涙がぽろぽろぽろ・・・。切ない、うれしい、あたたかい、哀しい、でも愛しい・・・様々な感情と一緒に涙がどんどん溢れたら、心もすっかり透明になっていました。
20世紀までの沖縄、特に八重山の歴史は、台風や日照り、マラリアや厳しい課税と、苦難の連続だったと言います。自然保護か開発か、地元や内地はもちろん、世界の研究者を巻き込んでの30年の論争の末に開港した、新石垣空港は、八重山をはじめ、ネイティブの島が抱える葛藤を、象徴しています。
「南国の楽園」というイメージから、そっと一歩踏み込むと、島の人々が胸にしまっている様々な思いが伝わり、私も一緒に肝が苦しくなります(沖縄では肝で気持ちを表現します)。
でも、それでも、島に生きる人々、島を訪れる人々の心や思いを抱きとめ、癒し続けてきた海の青さへの思い、それをこどもたちに伝えたい願いは、きっとみんな同じ。21世紀に生きる私たちが、島の人々と一緒に未来を考えていくことはできるはず。そんな思いを胸に、黒島の島時間を過ごしました。
沖縄の人々、特に八重山の人々は、親しくなるまで、あまり多くを語りません。そして、様々な思い、喜びも悲しみも、切なさもやるせなさも、胸にしまって、私たちに穏やかな笑顔を見せてくれます。そんな八重山の人々の深く、広い心だからこそ、訪れる人すべてに、ALOHAを教えてくれるのだと思います。
私ももっともとっと、ALOHAな心を広げて、八重山の海のようになりたいな、そう願わずにはいられません。
旅で出会った、すべてのみなさん、八重山の海、空、生き物達、おじゃましました。そして、ありがとう。
みなさまも、是非一度、訪れてみてくださいね。
ALOHA