ロミロミや産前産後のケアをしている中で、避けて通ることができないテーマとして、ジェンダーやセクシュアリティの問題=女性の在り方や女性性と男性性の問題があります。
男と女の問題は、古今東西、根源的なテーマであり、世界のシステムが崩壊し、新しい神話が必要となっていることを誰もが実感している現代においては、何にもまして取り組むべき大きなテーマと言えます。
男と女について、極端に二極化して考えたり、その差異を声高に語る必要はないけれど、一人一人が自分自身のアイデンティティーとして、また親として、そして21世紀の創造者として、自分自身の中でそれと向き合い、深めることなくしては、前にも後ろにも進めない・・・。この「円環する男と女」では、精神科医の加藤先生と、アーティストでありエッセイストでもある宮迫さんが、現代の男性と女性の問題と、それぞれが向き合うべき課題を、様々な視点から、それぞれの実体験を交えて論じています。
男女雇用機会均等法世代のしっぽの方に属する世代として教育を受け、保育や子育て支援など母子のケアを通して女性という性を見つめ続ける中で、自分自身の女性性を抑えてきた私自身にとっても、それは深い深いテーマです。
私は5年位前にこの本に出会い、これは凄い内容の本だなと思った反面、「女性性の原理はただ《在る》ことそのもので、《待つ》《与える》性、男性性は《行動する》ことで、《在る》女性に《合う》ように行動していく性だという本書のテーマに、当時ひそかに疑問や反発を禁じえないでいました。
しかし、先日、男の子の子育てに苦心している従姉妹が 「息子に対して、もっとしっかりした、きちんとした男になれないなら、もう男をやめろと思い、怒りが出てしまう」 と発言したことから、「じゃあ、そう感じる私達は、逆に女性としてどうなんだろうね、女性として開花しているんだろうか」と言う話になり、本書を思い出しました。
改めて、じっくりじっくり読んでみて…お二人の炯眼に脱帽でした(笑)。
以前は読み過ごしていたのですが、加藤先生の「もしただ「在る」と言うことに満足できないとしたら、その人は「在る」と言うことを自分の中で深める必要がある」と言う趣旨の発言にもハッとさせられました。
この対談のテーマ=女性が、女性として「存在」することの深さと、それが世界を変えるほどの豊かさを内包するものだと言うことに気づくことから、21世紀の新しい男と女の《在り合い方》が生まれ、そこにそこ希望がある、というテーマに、心から納得できたのは、42になろうとする今、少しはものごとが見えてきたためでしょうか。
野口整体と出会い、自分の中にあった、女性として生きることへの不安や怖さ、不満が溶けてしまったからでしょうか。
《待つ》ことに関しても、恋歌のように具体的な誰かを、何かを待つと言うレベルの話ではなく、「連綿としたいのちの繋がりの中」に在って「機が熟するのを待つ」、「潮が満ちるのを待つ」ことができるのが女性の根源であると言う加藤先生の言葉に、今回は深く共感しました。
その女性性を女性自らが深め、祝福しなおすこと、そして改めて男女がお互いの感性や感覚を学び合うことで未来が生まれる、現に新しい世代には、そうした《在り合う》関係性の中で子どもを育てているカップルも誕生している、未来に希望はある、という加藤先生の言葉に、深いところから力が沸いてくるのを感じます。
私も今年は、《女性として在る》と言う深淵なるテーマに、時間をかけて向き合い、深めてみたいと思います。
多くの女性に、そして、男性に、一度は手にとって読んでいただきたい本です。