ある作家のメッセージと自分の深い部分が共鳴し、一文字一文字が魂の琴線に触れ、まるでその作家の魂が自分に入り込んでくるような…そんな体験が誰にでもあると思います。
私の場合、それは故星野道夫氏です。
アメリカンインディアンの世界観や暮らし、そこに暮らす動植物をこよなく愛し、数多くの写真やエッセイを遺した星野道夫氏が、クマの魂の世界に還っていったのは1996年。
当時私は名前を聞いたことがある程度でしたが、とても仲良かった心優しい物静かな後輩が、星野道夫氏の大ファンで、彼が星野道夫氏の生き方に感銘を受けて、自分もイヌイットの村に行ってしまうほどのほれ込みようだったのは知っていました。
その星野道夫急死のニュースを知ったのは、彼にカフェに呼び出された時でした。
「星野道夫が亡くなったんです」
それきり言葉すらでない友人の隣で、かける言葉が見つからないまま黙って一緒にお茶を飲みながら、私は強い衝撃を受け、また一方で不思議な感覚に捉われていました。
これほど人に影響を与え、これほど深く人の心に入り込む作家とは、一体どんな人で、どんな作品なのだろう。
それが、星野道夫氏の作品との出逢いでした。
以来、私自身が彼の大ファンになり、何かある度に作品を読み直し、写真集を眺め、星野道夫氏の魂に語りかけるようになっていました。
星野道夫氏の、豊かな感受性を通して観たアメリカンインディアン達の、失われつつある、豊かな根源的な世界観と生きた神話の世界。
星野氏の、淡々とした散文的な語り口調は、私たちを、刻々と失われつつある、もう一つの世界…目に見えないけれど、でも何よりもリアルに存在する魂の世界へと、自然にいざなっていきます。
魂の世界と繋がりを保ちながら、現実のいのちの文脈の中で逞しく生きてきたイヌイットやアメリカンインディアンの人々の世界観と出会ったことで、私自身の限定的だった次元が四方に広がりをもち、全てのいのちへの見方が生き生きとしたものに変化しました。
そんな星野道夫の世界に、今また再び強烈に惹きつけられているのは、終戦記念日が近いせいでしょうか。
それとも、いのちを真ん中において考えることを忘れて久しい、この国や世界の行く末を案じてでしょうか。
私たち現代人の苦しみの多くは、いのちの文脈から離れてしまい、どこに帰るかを忘れたまま迷子になっているからだと感じます。
星野道夫の遺作になったこの作品は、私達に魂やいのちと繋がった世界への帰り道を教えてくれ、本当に生きる上で大切なことは何か、子供たちに何を伝えればいいのか、という問いへのヒントを与えてくれます。
私の人生になくてはならない、宝物の本の一つです。