友人達の子ども達も、ほとんどが小学生になろうとしています。自分のこどもがいない私には、お茶やランチをしながら友人のこどもたちの近況を聞くのが、とても楽しみです。
しかし、昨年びっくりしたことがあります。それは、私の友人の実に80%が、学校の先生から「あなたのお子さんは発達障害の可能性があるので専門家(精神科医など)に連れて行ったらどうですか」と言われていたこと。
その理由を聞くと、「先生の話を集中して聞いていない」「ルールをしっかり理解して守っていない」「思ったことを遠慮なく口にする」「競争心が足りない」「お友達にニコニコ優しくて、自分のものをとられても怒らない」「学校がつまらないという」等等、え?それで?とびっくりする理由ばかり。
実際にそのお子さんの多くを知っているのですが、自分の個性をしっかり持った、優しくて、大人より聡明な目をした子達なのです。保育士を10年くらいやっていた経験上、発達障害でないと分かります。
学校の規格に合わない子、先生の手に負えない子を「障害」「症候群」と名づけて、個性をたわめていくことに対する、並々ならぬ抵抗感や反発、恐ろしさを感じるのは、私も子どもの頃、そうだったからかもしれません。
先生やお友達は大好きでしたが、実際に学校は退屈な場所でした(笑)。教えてもらうことは教科書に書いてあることばかりだし、質問をしても本質的で本当に知りたい答えはかえってこない、なんでもいいから発言してごらんと言ってくれていても要求される答えは決まっている。分刻みのスケジュールの中でも、なんとか集中して思考を始めても先生の大きな声やチャイムで中断されて、休み時間は頭を切り替えて外で溌剌と遊べと言われる。 そのうちに、自分の思考と想像の世界に耽るようになり、成績は当然悪く、生活態度も○が少なく、IQもぎりぎりでした(笑)。
けれど、頭の中では、子どもなりの哲学的思考や宇宙観、夜読んだ物語の続きなどでいっぱいで、本人は幸せでした。宇宙って本当に無限なのか、0.000・・・1が永遠に続くとして、0・000・・・2にたどりつくまでの隙間には何があるのか、昨日あそこで違う選択をしていた時の私はどこにいるんだろう、楽しいときに時間は早いのに、授業は永遠のように長いから時間って伸び縮みするのかしら、などを、自分なりにリアルに想像していたのです。
窓ぎわのトットちゃん (講談社文庫) 黒柳 徹子 講談社 1984-04-15 売り上げランキング : 2879 |
5年生くらいの時から本腰をあげて(というか、社会で生きるために仕方ないらしい、とあきらめがついて)勉強を始めて、最終的にはちゃんと行きたい大学にいけましたが、今なら完全にグレーゾーンに入れらていた子どもでした。当時「窓際のトットちゃん」がベストセラーになり、読んだときに「あ。私も、普通の学校じゃみんなに迷惑だし、自分もつまらないから、ともえ学園にいかなきゃ」と思ったのを今でも覚えています。
いまにして思うと、意外と当時の私は量子物理学向きの子どもで、もしもその時に、私の疑問や考えていることに可能性を見いだしてくれたり、そのまま中断せずに思考を続けさせてくれたり、それを数式に表わすことを教えてくれる先生や大人がいたら・・・と思うこともあります。(リサ・ランドールの助手くらいには、なんちゃって(笑))
そして、もしかして、そんな大人が周りに一人でもいてくれたら、劣等感を持たずにそのままそのまま邁進する時間を与えてくれたら・・・自分の感性や個性×好奇心×時間=天才たちが数多く出てくるのではないかしら。
そんな思いが、私を 「こどもたちのアトリエ」 づくりの夢へと駆り立てていて、そんな私を、この本が後押ししてくれます。(前置き、長くてすみません(汗))
世の中で天才児と呼ばれる人たちの親や味方になってくれる大人が、どんな風に励まし、世間の偏見からこどもたちを護り、その芽が芽吹いて大木に育つように見守ったかが、小林静観さんらしい愛あふれる言葉で綴られています。
もしもお子さんが、発達障害では?と言われてしまった時、本書を手にとって違う角度からお子さんを見つめると、とんでもない宝が眠っていることに気が付くかもしれません。
オススメ中のオススメの1冊です。